ガクさんとDAIGO・・・・と不惑のkenちゃん
TVつけたらがっちゃんとDAIGOさんがコラボってた。
こういう情報は疎いので、びっくりしてその後子供たちと大爆笑。
がっちゃんは海外に行っていたのでDAIGOの「ウイッシュ☆」を知らなかったんや。
スタッフがやっているのを見て、「頼むからやめてくれよ」と思ったって、本人の横で無表情なまま語る。
がっちゃん語録がおもしろかった。
「酒を呑めないヤツは駄目」
「ワインなら20本からいってみようか」
「腕枕、しない男なんて最低」(DAIGOさんも腕枕は腕痺れまくりだと言っていた)
「キャーキャー騒ぐ女・・・五月蠅いって言いますね」
(これはDAIGOさんに、どうやったら女性に振り向いてもらえるのかと聞かれた話の流れで)
自分のことを、「女は三歩下がってついてこいという古風な男」だとも言っていたけれど、
本当は、「女性には敵うわけがないと分かっているものの、自分は男なので前に立って女性を守らなくてはならないと思っているから」なんてことを言っていた。
ほんと、古い男ねー。
がっちゃんとDAIGOさんは、どうも噛み合わない感じがしたんだけれど、そこがまた大変に可笑しかった。
ところで共演していたジョジョリーナ・アリー。
アンジェリーナ・ジョリーが存命している女優の中で一番セクシーだと思っている私にとっては、
「ふざけんなよ」と思ってしまう芸名。
がっちゃんの前で、「鼻毛ボー、耳毛ボー」って歌い始めたらどうしようかと思っていた。
歌い始めてちょっと安心。腕枕に悩む女の子の歌。
と、思いきや、やっぱりあった鼻毛のフレーズ
彼女の歌のコンセプトは、「御下劣な歌をいかに上品に歌うか」
だとでもいうのだろうか?
さて、話題変わり、昨日はkenちゃんのお誕生日だった(ヲイ)
直前まで覚えていて、当日にすっかり忘れていた。
お誕生日おめでとう。 不惑だそうで。 しかし、
40になったところで不惑になんぞにはなかなかなれません。
論語によると次の大台が知命(五十にして天命を知る)なので、
一足先に不惑の歳を迎えた私としては、この10年は更にジタバタして来るべき天命をお迎えする準備期間だと思うことにしている。
とっくに音楽という不動の道を見つけてしまったゆきさんやkenちゃんをはじめとするラル面の皆さんには不惑なぞ関係ないことだと思うけれど。
孔子は四十の時に狭い見方に捕らわれることなく心の迷いがなくなったそうだ。
その前の三十では、それまで学んできたことにより独立することができたと。
家人が事務所の先生から独立して10年経つ。
正直、仕事がなくてお金の工面に困り、家人に内緒で実家にお金を借りたこともある。
そんなこんなで10年。
先日、とある建築賞をいただくことができた。
どんな仕事も決して疎かにすることなく、人とのご縁に対して非常に気を使い大切にしてきた家人の、ひとつの区切りだと思う。
仕事が仕事を呼ぶのだということを、この10年、目の当たりにしてきた。
しかし、世間が広がれば広がるほど、自問自答の毎日である。
仕事に関しては、プランが決まるまで最良への模索ばかりだ。
現場が始まれば試行錯誤の現状が待つ。
およそ不惑とは程遠い。
五十で天が自分自身に与えた使命を自覚した孔子。
そんなもん自覚できるのだろうか?
羨ましい限りである。
こういう情報は疎いので、びっくりしてその後子供たちと大爆笑。
がっちゃんは海外に行っていたのでDAIGOの「ウイッシュ☆」を知らなかったんや。
スタッフがやっているのを見て、「頼むからやめてくれよ」と思ったって、本人の横で無表情なまま語る。
がっちゃん語録がおもしろかった。
「酒を呑めないヤツは駄目」
「ワインなら20本からいってみようか」
「腕枕、しない男なんて最低」(DAIGOさんも腕枕は腕痺れまくりだと言っていた)
「キャーキャー騒ぐ女・・・五月蠅いって言いますね」
(これはDAIGOさんに、どうやったら女性に振り向いてもらえるのかと聞かれた話の流れで)
自分のことを、「女は三歩下がってついてこいという古風な男」だとも言っていたけれど、
本当は、「女性には敵うわけがないと分かっているものの、自分は男なので前に立って女性を守らなくてはならないと思っているから」なんてことを言っていた。
ほんと、古い男ねー。
がっちゃんとDAIGOさんは、どうも噛み合わない感じがしたんだけれど、そこがまた大変に可笑しかった。
ところで共演していたジョジョリーナ・アリー。
アンジェリーナ・ジョリーが存命している女優の中で一番セクシーだと思っている私にとっては、
「ふざけんなよ」と思ってしまう芸名。
がっちゃんの前で、「鼻毛ボー、耳毛ボー」って歌い始めたらどうしようかと思っていた。
歌い始めてちょっと安心。腕枕に悩む女の子の歌。
と、思いきや、やっぱりあった鼻毛のフレーズ
彼女の歌のコンセプトは、「御下劣な歌をいかに上品に歌うか」
だとでもいうのだろうか?
さて、話題変わり、昨日はkenちゃんのお誕生日だった(ヲイ)
直前まで覚えていて、当日にすっかり忘れていた。
お誕生日おめでとう。 不惑だそうで。 しかし、
40になったところで不惑になんぞにはなかなかなれません。
論語によると次の大台が知命(五十にして天命を知る)なので、
一足先に不惑の歳を迎えた私としては、この10年は更にジタバタして来るべき天命をお迎えする準備期間だと思うことにしている。
とっくに音楽という不動の道を見つけてしまったゆきさんやkenちゃんをはじめとするラル面の皆さんには不惑なぞ関係ないことだと思うけれど。
孔子は四十の時に狭い見方に捕らわれることなく心の迷いがなくなったそうだ。
その前の三十では、それまで学んできたことにより独立することができたと。
家人が事務所の先生から独立して10年経つ。
正直、仕事がなくてお金の工面に困り、家人に内緒で実家にお金を借りたこともある。
そんなこんなで10年。
先日、とある建築賞をいただくことができた。
どんな仕事も決して疎かにすることなく、人とのご縁に対して非常に気を使い大切にしてきた家人の、ひとつの区切りだと思う。
仕事が仕事を呼ぶのだということを、この10年、目の当たりにしてきた。
しかし、世間が広がれば広がるほど、自問自答の毎日である。
仕事に関しては、プランが決まるまで最良への模索ばかりだ。
現場が始まれば試行錯誤の現状が待つ。
およそ不惑とは程遠い。
五十で天が自分自身に与えた使命を自覚した孔子。
そんなもん自覚できるのだろうか?
羨ましい限りである。

